推し活への憧れ

最近「推し活」って言葉をよく聞きます。

「推し」っていわゆる「この人のファン」って事だと思いますが、「推し活」を取り上げた番組を観ていると、どうも「ただのファン」では無いようですね。

「熱狂的なファン」であり、「推し」がいるから生きていける、「推し」の事を考えると辛い仕事も頑張れる、みたいな。

惜しみなく私財を投じ、グッズを収集して身に付けたり、聖地巡礼をする事に生きがいを感じる、というのも特性のひとつでしょうか。

そういう特集を観ていると、みんな「私の推しは誰々で、こんな推し活をしています」と嬉々として話していて、人類みな誰かしら「推し」がいるのが当たり前な、パラレルワールドの映像を観ているような錯覚に陥ります。

こんな事を書くと私が「推し活」に否定的な人間だと思われそうですが、全くそんな事はありません。

むしろとても羨ましいと思っています。

私にも昔からファンになり応援した人が沢山いました。

ジャニーズのアイドル、漫画やアニメのキャラクター、俳優さん、声優さん、等々。

でも「推し活」と言えるレベルではなかったと思います。

それに、その事でお金を使い過ぎる事には少なからず罪悪感がありました。

ただの散財、無駄遣いという感じですね。

自分で働いて得たお金でさえ「もっと有益な使い道があるんじゃないか」と誰かに責めらている訳でもないのに気が咎めるのです。

お金や時間を使う時は、それが何かの、又は誰かの役に立つか、その行為は生産性のある事か、などと不安になり、自分だけの楽しみの為だとすると、とても悪い事をしている様な気がして落ち着かなくなるんです。

自罰的な考え方だと思うし、損をしてるとも思います。

常にこういう考え方をするわけでは無いけれど、そういう思考パターンを持っていることを自覚しています。


何でそうなるのかよくわかりませんが。

とは言え、楽しい思いをしたいという欲求には逆らえず、結局散財してしまうんですよね。

具体的には次々とDVDを買ってしまったり、ご飯も作らず何時間でもそれを観ていたり。

そしてその事に対して「私の自制心には羽が生えている」と自己嫌悪に陥るのです。

だから今の「推し活」番組で「推しにお金を使い過ぎて食費も残ってません。あははー」みたいな人を見ると、本当に羨ましいと思うんです。
だってとても幸せそうなので。

周りも「自分が幸せになれる事にのめり込めるんだからいいじゃない」と寛容的で、誰も「無駄遣いでしょ」と責めはしないし。

まあ、その人達が代わりに食費を出してくれる訳ではないんでしょうけどね。

でも「推し活」のメリットはそれだけではなく、自分と同じような価値観を持った人達と繋がることが出来る、ということもあるかもしれませんね。

私もブログを始めるときに同じように考えたので、それは大きな価値だと思います。

何が言いたいのかよく分からなくなりましたが、結局健康的に「推し活」をするには、自己肯定感の高さも必要と言うことかと思います。

そういう訳で、今の私に「推し」はいません。
でも「ぼる塾」が出ている番組はチェックしています。
グッズが欲しいとは思わないけど、エッセイ本を買いました。

まあその位でいいかな、と思う今日この頃。