「ですます調」と「である調」

ブログを始める時、語尾を「ですます調」で行くか「である調」で行くか、どちらにしようか少し迷いました。

入門書の類には大抵「どちらにするかで与える印象が変わってくるので、用途によって向き不向きがあるが、日記や個人ブログなら自分の好みでどちらでも良い」と書かれています。

「ですます調」の正式名称は「敬体」、「である調」の正式名称は「常体」と言うそうです。


私は不特定多数の人に読まれることを意識して書こうと思ったので、丁寧で柔らかい印象を与える「ですます調」を選びました。


でも自分で日記を書く時や、頭の中の考えを言語化する時は基本的に「である調」です。

ですからブログを書き始める時「である調」で書き始めて「あ、違った」と書き直すことがよくあります。

多分まだ、不特定多数の人達に読んでもらうという意識が乏しいのだと思います。

ここで誤解の無いようお伝えしたいのですが、現在「である」調でブログを書かれている方が不特定多数の人が読むことを意識していないと言いたいわけではないのです。

これは私の個人的な話なので、もしもお気を悪くされた方がおられたらお詫び致します。


実際私が読む小説はほとんど「である調」で書かれています。

小説に関して言うと、基本的に小説は、作者が伝えたいことを読者は受け取るだけ、というスタンスだと考えます。

読者と自分の間に摩擦を起こさないようにしようとか、柔らかい印象を持ってもらおうなどというような、いわゆる読者への気遣いや媚びみたいなものはないと思われます。

その世界観について行く人もいれば離れて行く人もいるけれど、「それはそれで仕方がない」というような潔ささえ感じます。


でも同じ作家であってもエッセイを書く時は「ですます調」だったりします。

何かを言い切りたいのか、共感し合いたいのかなど、目的によっても使い分けているのだと思います。


私がこれまでの人生で使っていた「である調」は、「潔く言い切る」と言うよりは、あまり人の話に耳を傾けようとせず独りよがりの「である」だったかもしれないなと今感じています。

そのせいで考え方が広がらなかったり、偏っていたりしているのかも知れません。

私には「私に従わないものは去れ!」と言って通用するようなカリスマ性も強さもありません。

 

ですからこれからは「ですます調」で、他の人の話を聞きながら他の人と語り合うようなブログを書けたらいいなあと思っていますが、同時に自分の意見をきちんと持ったまま他者と共に歩ける「である調」の生き方が出来ればとも思っています。