異性への魅力の感じ方は異性であるが故によくわからない

赤毛のアン」をご存知でしょうか。

原作は1908年、カナダの作家ルーシー・モンゴメリが発表した長編小説で全11巻、アンが孤児院からグリーン・ゲイブルズにやって来るところから始まり、やがて6人の子供の母親になり、物語も子供達が主役へとバトンタッチした後までが描かれています。

アニメ化もされ、1976年にフジテレビ系列で「世界名作劇場」というアニメ枠で一年間放送されました。

私が初めて原作を読んだのは中学生の時でしたが、その後も何度も読み返している、私の中の永遠のロングセラーです。

赤毛のアン」の素晴らしさはについては、改めて私がお伝えするまでもないので割愛させて頂きます。

今日は「赤毛のアン」に絡めて「異性に対する魅力の感じ方は異性であるが故によくわからない」と感じた話をしたいと思います。

ずっと以前に「赤毛のアン」について色々考察している本を読んだのですが、そこに「実は男性読者にはアンよりダイアナの方が人気がある。ギルバートも女性からは圧倒的に人気があるが男性からはあまり人気がない」という様な事が書かれてあったんです。

それを読んだ時「え?何で?」と驚きました。

まず、私の解釈する3人のイメージはこうです。

アンの子供の頃からの親友ダイアナは、華やかで明るい、オシャレ好き美人。友達思いの良い人だけど、難しい事にはあまり興味がないというタイプ。

主人公のアンは、ダイアナと比べると太陽と月の様で、人目を引く美人ではなく欠点も多いけれど、感情表現が豊かで、聡明で愛すべき魅力的な人物として描かれています。

2人の幼馴染のギルバートは、子供の頃から明るくハンサムで、勉強も出来その上親孝行。当然モテるのですが、本人はアンに一途に片想いをし続け、その後めでたく結婚。努力して医者にもなるという、スーパーパーフェクト野郎です。

著者曰く、ギルバートが男性読者から不人気な理由はまさにそこなんだそうです。

パーフェクトだから嫉妬されて人気がないのではなく、同性から見るとリアリティがなさすぎる人物で、面白味もなく感情移入し難いそうです。

思い起こすと私も思春期の頃はギルバートに恋をしていました。

こんな素敵な人がいたらなあとアンを羨ましく思いました。

でも自分が色々な経験をして大人になった今改めて考えてみると、確かにギルバートの人物設定は現実味が乏しい様に思います。

同じ理由で、アンよりダイアナの方が人気がある理由もその辺にあるようです。

私の感想では、ダイアナはある意味ステレオタイプのモテる女性として描かれている部分があるように感じ、同性から見てアンと比べると深みがないように思えるのですが、、男性から見れば普通に魅力的に見えるのでしょう。

でもこれも、人生経験を積んだ大人の男性には通用しないかもしれませんね。

人は美点に恋をし欠点を愛する、と言いますから。

まあでも結局「異性に対する魅力の感じ方は異性であるが故によくわからない」というのは世の常なのかもしれません。